「気にしすぎる人」、〇〇が苦しくなる。

 こんにちは!

人生を遊ぶように生きたい、ゆうです。

 今日は、「気にしすぎる人」だった私が〇〇が「苦しい!」と思うようになったときのお話しをしますね。

 

 前回の記事で書いたのですが、私はもともと「人の反応」や「人や場所の雰囲気」、「人よりも細かくて深いところ」が気になってしまい、不安になりやすい人でした。

「私、【気にしい】なんだよなぁ…」って、いつも自分で思っていました。

 

 思い返せば、小学校や中学校の部活の時は、男の先生がいるだけでその空間が怖くて委縮し本当の力が出せなくなってしまったり、高校になると塾の厳しい男の先生が怖くて質問したくても話しかけることが出来なかったり。

 

 頑張って話しかけても、緊張からか途中で自分が何を言っているか分からず支離滅裂になっていました。

 

 他の女の子の友達はみんな普通に話しかけることが出来ていて、楽しそうに笑っているのに、私はなんで出来ないんだろう…って思っていました。

 

 

 あと、高校くらいの時から、人といると常に何かを気にしてしまう自分がいて疲れてしまうので、本当に息の合う友達といる時以外は、

基本的にいつも「一匹オオカミ」でした。

 寂しかったけど、そのほうが自分の心が楽だったのです。

 

 社会人になるまでに、私の中ではきっと、もっともっとたくさんいろいろな事を感じていたのだけれど、気にしすぎていたら毎日が辛くて仕方がなくなってしまうので、出来るだけ「忘れよう、忘れよう!」「気にしない、次はきっといいことある!」と思うようにしていました。

 

「気にする」がいよいよ「苦しい」になった。

 それは、社会人になって仕事というものをするようになった時。

 

 私は、転職を7年間のうちに3回しています。

  初めての転職は、人間関係に疲れて居られなくなってしまったから。

 2回目と3回目は、みんなとても良い人達だったけど、私はもっとスキルアップをしたくなってしまったからです。

 3回目の転職の時に、初めて一人暮らしをしました。

 対人援助の仕事なので基本的には相手のニーズに合わせ、相手がより良い環境で過ごせるように支援する仕事です。

 

 

 

 私の「他の人は気付かないような細かい所や、人の背景にある感情などをとても気にしてしまう」という嫌だった部分は、こと仕事となると、とても役に立ちました。

 

 相手の表面化して出てきた言葉だけじゃなく、表情や行動、などの様子から背景にある事を察したり、察してもそれは相手が乗り越えるべき課題かどうか(今は、敢えてやってあげないほうが良いのか)など考えながら、状況と駆け引きしながら判断することが出来ました。

 

 とにかく常にいろいろな所に神経を研ぎ澄ませていました。

それも意識的に、というか自然と出来てしまうのです。

 

 そして仕事中は自分をセーブすることなく、状況が分かれば分かるほど、今必要と思われる仕事をやってしまいました。

 

 おかげで、相手(利用者さん)の心により共感することが出来たり、他の人には言えない本音を漏らして頂ける存在になれたり、仕事をしていても、私も嬉しい瞬間にたくさん立ち会わせて頂きました。

 定時で終わることはあまりなく、毎日遅くに帰ってそこから1人で夕飯作り。

 しかしこんな感じで1日人と接し、精神的に疲れているので、気力もありません。

 

 適当なものでとりあえず、お腹を膨らませていました。

 それこそ、カップラーメンとか牛丼ならまだ良いほうで、ジュースとかスープとかでいいや。という日もありました。自分のためにご飯を作って、食べるのが面倒臭かったのです。

 「自分なんか、ご飯を食べる価値もない」

今思うと怖いくらいに精神的に憔悴しきっていて、本気でそう思うようになっていました。

そして、早く寝ようと思っても今度は寝る事が出来ないのです。

 1日「人のため」と考え仕事してきた私の心は、「まだ今日の自分を生きていないから、寝れない!」と叫んでいました。

少しでも楽しい感情を求めてyoutubeを漁って見て、気付けば2時半…。

 寝不足で疲れが取れないまま翌日の仕事に行く、という日が続きました。

そして、仕事モードになるとまた、精神を研ぎ澄ませていました。

一番辛かったのは仲間と感覚が合わないこと

 精神的な疲労が溜まっていったのも辛かったのですが、

何よりも辛かったのは、そんな感じで私の感覚が他の人よりも鋭いところがあったので、

意見交換をしようと話し合いをしても、今大切にしたいことがなかなか噛み合わないのです。

 その人の事が嫌いなわけじゃないのに、うまく方向性を合わせることが出来ない。でも、チームでやっている仕事だから「一匹オオカミ」みたいに一人で自由にやる訳にもいかない。

 一生懸命、周りに合わせようとしないと、当時の私は集団の中では仕事していけませんでした。

このあたりから、「自分」というものがどこかに行ってしまったような気がして、自分を生きている感覚がなくなってしまいました。

 「気にする」を自分の中でもごまかしきれなくなくなって、毎日「生きていること」そのものが「苦しい、苦しい、苦しい!」しかありませんでした。

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