プレーパークについて思うこと


知らない人と話して見えること

 私は、プレーパークで「プレーリーダー」として仕事をしていましたが、普段はプレーパークを知らない人とよく話し、「伝え方」について考えるようにしていました。

 子ども関係、教育関係のみならず、他の大学生や他の業種で働いている大人ともお話しをさせてもらいました。

 最近では、子どもの遊び場や子育てに関しての情報がネットや書籍、テレビ番組などを通して社会の中にたくさんあり、また、親子で楽しめるような楽しい遊びのイベントも街中でたくさん行われています。

そんな中で、「プレーパーク」「プレーリーダー」をどう伝えるか。


 確かに公園など他の遊び場に比べると、「自由な遊びが出来ること」「様々な大切な経験が出来ること」はあるけれど、伝える時の中心がそこだけではない気がしています。


 私がこれまでの経験で感じたことは、プレーパークは「場所」ではなく「地域の大人が子どもと共に考えながら作っていく関係性」であるところ、ということでした。

働いていたプレーパークの事務所にあった15年前の資料を、たくさん読み返しました。

 今、「プレーパーク」として存在する場所も5年、10年、20年…と始まりの根っこは「地域の人の思い」でした。


 
 だからプレーパークを伝えるときには「場所」よりも「人の関係性」や「積み重ねられる時間」「思い」を伝えることを大切にしようと思いました。


 そうやって常設型、隔週、月1開催、と日本中でいろんな形で存在しています。




 「子どものための自由な遊び場」と伝えると、子どものための場所なんだ、何かが出来る場所なんだ、と伝わることが多かったです。



  でも本当は、子どもの存在を中心に地域の大人誰もが環境となれる場所で、また、子ども達が地域の中で様々なことを受けとることが出来る場所。

 だから言葉を大切に、選びたい。


 先日、「プレーパークの中で自由に過ごす子どもを見て安心している自分」がいることに気づきました。


  本当は「プレーパークの数が増えればいい」わけではなく、究極は「プレーパークがなくても大人が気づき支え合いながら、環境をつくっていく関係性がある地域」であることが大切なんじゃないかな。



 そのためにプレーパークがあり、地域のプレーリーダーとして存在していたい、と今は思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です