ある日の記録



 今日は、プレーリーダーとして、子どもと関わっていたある日の記録を書きます。

【プレーパークにて】

遠くの方から「ゆうちゃぁぁぁ~ん!!」と駆けてきて、もらったのは…
「はいっ!超お子さまセット!!」

 お子さまセットに超がつくなんて!
泥んこお料理大好きなあの子からは、今日は「うどん」も、「ぼたもち」も貰っちゃった(* ̄∇ ̄*)


 ここ数ヵ月、その子はプレパに来ると、泥の料理をずっと作ってる。
好きな時期に、好きなことを、好きなだけやる。
そんな時期は私もたくさんもらって、たくさん食べて肥えていく(笑)


私がお汁をすすると、その子もお口をすすってる。(笑)おんなじ、だね!


 台風の後は落ち葉がたーくさん落ちてるから、これでもかと、集めてみた。
集めるのが楽しいから、くっついてくる子もいる。
そして途中から「貸して、おれがやる 」



 落ち葉集めは「お手伝い」じゃなくて、一緒に遊んでるの。
だから一緒にやること 全部がおもしろくて、同じペースで同じものを感じられるんだ。途中で変わっちゃっても、一緒にやったことだからお互いに気持ちが分かる。



「もっともーっと集めよう」
「そうだ。ここでおやつを食べよう!」
「看板を作ろう」(プレパおんせん)
どんどんやりたいことが出て来て
どんどん繋がっていく。



バイバイ、またね!
明日もこうしよう。と帰っていく。

子どもに「大人目線」で関わるのではなく、子どものやりたいことに共感してそれを支えていくのがプレーリーダーの1つの仕事です。

自己肯定観とは


 私たちはよく、「自己肯定観」という言葉を使いますが、それって一体何なのでしょうか?

「自己肯定観が下がった・・・」

「あの人は自己肯定観が高いよね」

人はよくこんな風に言いますが、自己肯定観の意味を「自信がある状態」と言う意味で使っている人は多いのではないでしょうか?

 かつての私自身もそうでした。

(私は自己肯定観が低い…)

(あの人はいつも自己肯定観が高く(見え)ていいなぁ…自分に自信があるんだろうなぁ)

と思っていました。
しかし、自己肯定観について学ぶうちに、それは違うのだという事に気付きました。

自己肯定観とは

それは、「自分が自分についてどう考え、どう感じているか」によって決まるもの。

自分の価値に対する感覚であり、本来誰もが持っているものです。


私たちが、「自分には生きる能力があり幸せになる価値がある」
「未来には、きっといいことがある」と信じることができるのは、
自己肯定観がその思いを根底で支えているからです。

引用:何があっても「大丈夫。」と思えるようになる
自己肯定観の教科書 中島輝 著


自己肯定観とは、何かが「出来た時の自分」だけでなく、「出来ない時」も含めてそのままの自分でいいんだ。と思えることです。

これも自分、そしてまた違うこれも自分、という風に、いろんな自分に対してありのままを認められる事。
それが出来ていると、周囲からの批判や刺激に対しても、自分の軸がブレずに自分なりに状況をとらえ直すことが出来ます。

また、何かトラブルがあってもそこで感情に飲み込まれず、ぐっと気持ちを切り替えて、解決策を模索することが出来るのです。

それが、自己肯定観が高く安定している状態と言えます。



あなたの今の自己肯定観は?

次の12の質問に答えることで、あなたの今の自己肯定観の状態が分かります。

〇か×で答えてみてください。

【自己肯定観チェックシート】

1.朝、鏡を見て自分の嫌なところを探してしまっている

2.SNSを開くたび、人からの「いいね」を待っている自分がいる

3.職場や学校、家庭でちょっと注意されると、深く落ち込んでしまう。

  立ち直るまでに時間がかかってしまう。

4.自分のペースを乱されると、些細なことでもイラッとしてしまうことがある。

5.ふとしたときに「無理」「忙しい」「疲れた」「どうしよう」「嫌だ」「つらい」といったネガティブな言葉がこぼれている。

6.「ねば」「べき」と考えてしまい、行動を起こせない

7.上司から言われた何気ないひと言が気になって。こだわってしまう

8.やるぞと決めても、まわりの人の目が気になり、躊躇してしまうことがある。

9.出かける前、1日を過ごす服選びに悩んでしまう。

10.一度決めたことなのに、本当にこれでいいのかなと悩むことがある

11.新しいことに挑戦したいなと思っても、「どうせ」「自分じゃな」と、勝手に限界を決めてしまっている

12.電車から降りるときやエレベーターに乗るとき、ノロノロしている人にイライラしてしまう

引用:何があっても「大丈夫。」と思えるようになる
自己肯定観の教科書 中島輝 著



 いかがだったでしょうか?

12個の質問のうち、〇が10個以上の場合、あなたの自己肯定観は今かなり低い状態になっていると言えます。

ちなみに、私の場合、1年前は11個〇がついていましたが、今は4個です。

自己肯定観は、どんな心の痛みや経験をした人でも、
何歳からでも後天的に育てていく事が出来るのです。

 

 


HSS型HSPの私が交流会に参加すると・・・


 先日、子どもの遊び環境についての講座が2日間あり、2日間とも参加してきました。


 全国から様々な活動をしている方や学ぶ意識の高い方が集まるので、会場はとてもエネルギーに満ち溢れていました。

 そこで、また1つ自分について気付くことが出来るきっかけがあったので、今回はそれについて書きます。


明確な関心事があるかどうかで、自分の状態が変わる

 

 セミナーの時間は、途中10分休憩を入れながらの、5時間ほどの学びの時間でした。

 私は興味があることだと、何時間でも集中力を切らさないで取り組み続けることが出来ます。これはHSS型HSPの人には多い特質のようです。

 今回のセミナーは、私が以前からとても興味のある内容だったので、とても集中して話を聞き続けることが出来ました。

 その後は、希望する参加者で食事をしながらの交流会がありました。
参加人数は50名以上はいたと思います。

 私も、(ゆる~く交流したり、なにか情報交換が出来ればいいなぁ)と軽く思い、参加しました。セミナーの時間のように、自分の中で特に「明確な関心事」はなかったのです。


 最初は近くにいる人と「普段どんな活動をしているんですか?」と話したりしていました。

 しかし、途中から急に、私の中でその場に対しての関心事が「プツッ」と切れてしまったのが分かりました。(あ、なんかもういいや…)と感じ始めたのが、開始してからまだ20分の事でした。


 特に人との関わりで嫌なことがあったとかそういう訳ではないのですが、(むしろもっと皆さんと話したり交流したかったのですが)、どうにも心がそうなってしまったら、その場にいるのが苦痛になってしまいます。


 多分、その前の時間に高い集中力を発揮して、長時間の学びをした事、そしてその学びがとても深く満足するものだった事、も要因の1つだと思っています。「元々、疲れやすいそして集中が切れやすい状態だった」という事です。

 以前はこの自分の中で関心が切れる「プツッ…」に気付く事も出来ていなく、そのままそこで過ごし続けていることが多かったので、よくグッタリ…していました。

 なのでこの時点でまずはこの、自分の中の変化に気付けたことが、ハナマルです。



関心が切れた時の、おススメの対処法

 自分の中で、その場に対する関心や集中力が1度切れてしまうと、その場に居続けるだけで精神体力を消耗してしまいます。

そんな状態を回避するために、私の経験からおススメな動作をいくつかあげます。

・トイレに行き(または行くふりをして)一度その場を離れる

 …更にトイレが終わったら、少し時間を潰してから会場に戻ると、回復の時間が取れます。(早く戻らなきゃ、と気にしてしまいがちですが)ここは思い切って20分ぐらいフェードアウトすると、効果的です。

・好きなアロマの匂いを嗅いで深呼吸する

…「辛いな」という感情を切り替えるために、お気に入りのアロマスプレーの匂いを嗅いで嗅覚刺激からの「快」の感情を脳に取り入れましょう。そしてゆっくりと8秒間かけて深呼吸します。(4で吸って1止めて4で吐く)大丈夫、大丈夫、と心の中でつぶやくと、感覚が自分軸に戻ってくるので回復しますよ。

・刺激を受けない位置に行く

…会場に戻っても、なんだかやっぱりイマイチ気が乗らない、でも帰ってしまうわけにはいかない・・・という時には、そっと端の方に行き会場の様子を俯瞰してみるのも1つの手です。あと、もし良く分かってくれている友達などがその場にいたら、「ちょっと疲れちゃって…回復するまでこの辺に一緒にふわっと居させて(笑)」と言ってみるのも良いと思います。
交流会などでは結構、1人で居ると話しかけられちゃいますからね(^-^;)

・どうしても辛ければ、早めの帰宅を

…申し込みをした時には、もちろん交流会を楽しもうと思っていたのに、当日の具合で(なんだか疲れちゃった…)というのは、珍しいことではないと思います。
HSS型HSPの特徴を持つ人は、「刺激を求める性質」と「敏感な性質」の両方を持っているため、そのバランスがとても難しいのです。適正な感覚の幅がとても狭いです。

 なので「辛い」と感じる時点で、そこから先は、もはや我慢でしかありません。
せっかく申込をしたし、みんなと交流を持ちたい気持ちがあるのはとても良く分かりますが、どうしても辛くなってしまったら、その日は早めに切り上げて帰宅するのも精神体力を消耗しないための1つの手でしょう。

 
出来なかった自分より、出来た自分を見てあげよう

・せっかく交流会に申込をしたのに、私何やってるんだろ・・・

・もったいないな・・・

・みんなといっぱい交流出来なかったな…

 疲れたときは、こんな風に自分の出来なかったことに対して目が行きがちではありませんか?

 でも、自分の出来なかった事に隠れている「出来たこと」を、たくさん見てあげてください。

・私は交流会に申込みをすることが出来た!

・だから当日会場に参加出来た

・時間は短かったけど、話を出来た人は0人じゃない

・そして自分が疲れてきた瞬間に自分で気付くことが出来た!(素晴らしい)

・自分の疲れから、人に迷惑を掛けたり誰かを傷つけるような態度はとらなかった

と。
ほらたくさんあるでしょう(*^^)v

大丈夫。何かに対する見方や捉え方は、あなた自身で決めていいんです。

何を見て、どう感じるかで、あなたの時間が作られていくとしたら!

ぜひ、「出来なかったことより出来たこと」を見て、自分自身を肯定してあげましょう。


 

 



 



プレーパークって何?


 プレーパークとは、「子ども達の好奇心を大切にし、子ども達がやりたいことをやったり、在りたい姿で自由に過ごすことが出来る、屋外の遊び場」です。
 また、地域のどの子にとってもそのような環境が身近になるよう願い、開催方法や場所を大人達が工夫しながら作り続けている場所です。


 遊ぶために申込みなどはなく、誰でも遊びに来ていい場所です。




 子ども達の生活の中には「食べる」「寝る」と同じように「遊ぶ」時間があり、地域の中には公園や児童館など形は違えど、「遊びにいく」場所がたくさんあります。



 プレーパークも、身近(例えば毎日開催している、歩いていける場所)にある地域の子にとっては、その「遊びにいく」の選択肢の1つになっています。



例えば、小学生ならば放課後に、「とりあえずプレーパークに来る」という子もいます。理由は誰かしら居るから、など。あと、待ち合わせなどにも使われます。



 幼児さん親子ならば、プレーパークに来ると他の子もいるし、遊びを介して一緒に遊んだり、異年齢での交流が生まれたり、そういったことが自然と起きやすい、環境でもあるようです。


 プレーパークで出会った小学生と幼児が遊び場仲間になると、地域の大きな兄弟のようです。


プレーパークの特徴



①プレーパークでは、子ども達の「やりたいこと」を中心に遊びが展開されていきます。遊びの主役は子ども達です。遊び場はいつも子ども達と一緒に生きているかのように、変化し続けています。



②子ども達の「やってみたいこと」を見守る大人「プレーリーダー」がいます。



③「スタッフ」「参加者」という立場関係なく、子どもの遊びや育つ環境を中心に考えたり「出来ること」を行動する大人が繋がっていき、結果的に地域の意識が変わっていきます。



 近年、全国のいろいろなところでこうした、子どもが遊び育つ環境作りを考え、行動する大人が増えてきました。


 各遊び場の繋がりや、遊び場の広がりのサポートなどをしてくれている、日本冒険遊び場づくり協会の情報を載せておきます。


 住んでる地域の近くのプレーパークを知るのにも、役立ちます。
ぜひ、覗いてみてください。
(ここに登録掲載されている以外にも、活動している遊び場はあります。)
http://bouken-asobiba.org/




 また、最後にもう1つ大切なことですが、
ここまでは私自身が今までに学んできたこと、現場で感じること、を元に書いています。


 プレーパークに決まった形はなく、それぞれの地域や場所に合う形で、「今出来ることを、出来る方法で」開催されている遊び場が多いと思っています。開催頻度も「毎日」「週1」「月1」「数日間の連続開催」「年数回」…
など多様です。



 でも、全ての遊び場で「子ども達の遊び育つ環境を良いものにしたい」という願いが込められ、日々続けられている事は確かです。

プレーパークについて思うこと


知らない人と話して見えること

 私は、プレーパークで「プレーリーダー」として仕事をしていましたが、普段はプレーパークを知らない人とよく話し、「伝え方」について考えるようにしていました。

 子ども関係、教育関係のみならず、他の大学生や他の業種で働いている大人ともお話しをさせてもらいました。

 最近では、子どもの遊び場や子育てに関しての情報がネットや書籍、テレビ番組などを通して社会の中にたくさんあり、また、親子で楽しめるような楽しい遊びのイベントも街中でたくさん行われています。

そんな中で、「プレーパーク」「プレーリーダー」をどう伝えるか。


 確かに公園など他の遊び場に比べると、「自由な遊びが出来ること」「様々な大切な経験が出来ること」はあるけれど、伝える時の中心がそこだけではない気がしています。


 私がこれまでの経験で感じたことは、プレーパークは「場所」ではなく「地域の大人が子どもと共に考えながら作っていく関係性」であるところ、ということでした。

働いていたプレーパークの事務所にあった15年前の資料を、たくさん読み返しました。

 今、「プレーパーク」として存在する場所も5年、10年、20年…と始まりの根っこは「地域の人の思い」でした。


 
 だからプレーパークを伝えるときには「場所」よりも「人の関係性」や「積み重ねられる時間」「思い」を伝えることを大切にしようと思いました。


 そうやって常設型、隔週、月1開催、と日本中でいろんな形で存在しています。




 「子どものための自由な遊び場」と伝えると、子どものための場所なんだ、何かが出来る場所なんだ、と伝わることが多かったです。



  でも本当は、子どもの存在を中心に地域の大人誰もが環境となれる場所で、また、子ども達が地域の中で様々なことを受けとることが出来る場所。

 だから言葉を大切に、選びたい。


 先日、「プレーパークの中で自由に過ごす子どもを見て安心している自分」がいることに気づきました。


  本当は「プレーパークの数が増えればいい」わけではなく、究極は「プレーパークがなくても大人が気づき支え合いながら、環境をつくっていく関係性がある地域」であることが大切なんじゃないかな。



 そのためにプレーパークがあり、地域のプレーリーダーとして存在していたい、と今は思っています。