Play Your Life!

 はじめまして!「ゆう」です。

数あるブログの中から読んで頂き、ありがとうございます。

最初の記事では、ご挨拶と、私の自己紹介を書こうと思います。

どんな人?

 私は4年制福祉大学で「社会福祉」「保育」「幼児教育」を学びました。資格としては、「社会福祉士」「保育士」「幼稚園教諭一種免許状」をもっています。

 また学生時代には「プレイパーク」という子ども達の自由な外遊びの活動で、ボランティアをしていました。(これは後に、社会人になってからの私のベースとなっています)

 その後、社会人になりいくつかの仕事を経験してきました。

 今までに関わってきた事業でいうと「児童発達支援事業の保育士」「重症心身障害児者入所施設の保育士」「学童保育指導員」「プレーリーダー」などです。

 ちなみに今、大学を卒業して8年目で、上記の仕事はそれぞれ2年とか1年半とかの期間です。

 

 このように一か所で同じ仕事を続けてきた期間は短いのですが、どの場所でどんな仕事をしていても、今に至るまでずっと大切にしていることがあります。

 それは「人が生きていくということは、身近な環境の影響を強く受ける」ということです。

 聞くと、とても当たり前の事のように聞こえますが、その「当たり前を当たり前に大切にし続けること」。それがなかなか、大変で大切なことなんだと思っています。

 

 ちなみに性格はわりと大雑把で、深く考えるよりも、「やってみながら得る感触から状況を把握したり情報収集する、そして調整しながら更にやってみる」みたいな人です。あまり細かいことにはこだわりません。良くも悪くもとにかくやってみる、体験で学ぶというか。

 作った結果よりも、作り続ける「途中」が好き。

 

 あとは人からはよく、「話しかけやすい」「元気だね」「等身大だね」と言って頂くことが多いです。

 好きなことや夢は、いろいろな所を旅していろいろな人や世界に出会ってみたい。音楽フェスやライブハウスでの小さいライブも好き。また畑で野菜を育てるのも好きだったり、自分で料理するのも好きだったりします。お酒や美味しい食べ物も好き。

 

 -今の夢は、「街中を遊び場にすること」!ー

Play Your Life!

 このブログのタイトルは、「Play Your Life」にしてみました。

Play Your Life!ー人生を遊べ!-ということです。

 

 それは、自分に近い経験をしてきた(している)人に向けてのメッセージでもあるし、私自身に向けてのメッセージでもあります。

 

 私は今、「遊ぶ」ということをこう捉えています。

 誰かとの出会いがあったり、自分の好きな環境に出会ったり、好きな事を見つけて没頭したり。もちろん嫌だな、と感じる事にも出会ったりしながら、自分自身を知っていくこと。

 時には自分で自分を認められない時もあって、でもそんな自分もいるんだ、と気付かされたりして。そして自分自身を好きになって、「もっと生きたい!」「もっと人生を楽しいものにしたい!」と感じる感じる事だと思っています。

 「遊ぶ」ってそういうこと、「生きる」ってそういうことなのかなぁって。

 あなたは、あなたの人生に胸を張って、
生きることを思い切り楽しんでいいんだよ
 そしてそれと同じくらい
私も私の人生に胸を張って、
生きる事を楽しんでいい

 そういう願いを込めたかったので、この名前にしました。

 

 これからこのブログでは、そう思うようになったきっかけや、今までの私自身の失敗も含めた体験、考え方や感じ方が変化してきた様子などをお伝えしていきたいと思っています。

 

 

 その代わり、ごめんなさい。「こうすれば幸せになれるよ」とか「前向きに生きる方法」という部分はまだあまり記事に出来ないかなぁと思っています。理由は、自分自身がまだその途中なので。

 

 ちなみにブログを書くのは初めてです。なのでWordpressやサーバー契約などもこれが初めてです。小さな「やってみたいな!」の気持ちから、分かりやすく解説してくださっている方のサイトやyoutubeで自分で調べてみて、学んだことを実践してみている。という感じです。

 便利な時代ですね。(感謝)

 

 それなので、初めの方はとっても記事デザインがとってもシンプルだったりするかもしれませんが、なるべく読みやすく、そして気持ちが伝わりやすい文章で書いていきたいな!と思っていますので、

 これからどうぞよろしくお願い致します(^^)/。

 

ある日の記録



 今日は、プレーリーダーとして、子どもと関わっていたある日の記録を書きます。

【プレーパークにて】

遠くの方から「ゆうちゃぁぁぁ~ん!!」と駆けてきて、もらったのは…
「はいっ!超お子さまセット!!」

 お子さまセットに超がつくなんて!
泥んこお料理大好きなあの子からは、今日は「うどん」も、「ぼたもち」も貰っちゃった(* ̄∇ ̄*)


 ここ数ヵ月、その子はプレパに来ると、泥の料理をずっと作ってる。
好きな時期に、好きなことを、好きなだけやる。
そんな時期は私もたくさんもらって、たくさん食べて肥えていく(笑)


私がお汁をすすると、その子もお口をすすってる。(笑)おんなじ、だね!


 台風の後は落ち葉がたーくさん落ちてるから、これでもかと、集めてみた。
集めるのが楽しいから、くっついてくる子もいる。
そして途中から「貸して、おれがやる 」



 落ち葉集めは「お手伝い」じゃなくて、一緒に遊んでるの。
だから一緒にやること 全部がおもしろくて、同じペースで同じものを感じられるんだ。途中で変わっちゃっても、一緒にやったことだからお互いに気持ちが分かる。



「もっともーっと集めよう」
「そうだ。ここでおやつを食べよう!」
「看板を作ろう」(プレパおんせん)
どんどんやりたいことが出て来て
どんどん繋がっていく。



バイバイ、またね!
明日もこうしよう。と帰っていく。

子どもに「大人目線」で関わるのではなく、子どものやりたいことに共感してそれを支えていくのがプレーリーダーの1つの仕事です。

自己肯定観とは


 私たちはよく、「自己肯定観」という言葉を使いますが、それって一体何なのでしょうか?

「自己肯定観が下がった・・・」

「あの人は自己肯定観が高いよね」

人はよくこんな風に言いますが、自己肯定観の意味を「自信がある状態」と言う意味で使っている人は多いのではないでしょうか?

 かつての私自身もそうでした。

(私は自己肯定観が低い…)

(あの人はいつも自己肯定観が高く(見え)ていいなぁ…自分に自信があるんだろうなぁ)

と思っていました。
しかし、自己肯定観について学ぶうちに、それは違うのだという事に気付きました。

自己肯定観とは

それは、「自分が自分についてどう考え、どう感じているか」によって決まるもの。

自分の価値に対する感覚であり、本来誰もが持っているものです。


私たちが、「自分には生きる能力があり幸せになる価値がある」
「未来には、きっといいことがある」と信じることができるのは、
自己肯定観がその思いを根底で支えているからです。

引用:何があっても「大丈夫。」と思えるようになる
自己肯定観の教科書 中島輝 著


自己肯定観とは、何かが「出来た時の自分」だけでなく、「出来ない時」も含めてそのままの自分でいいんだ。と思えることです。

これも自分、そしてまた違うこれも自分、という風に、いろんな自分に対してありのままを認められる事。
それが出来ていると、周囲からの批判や刺激に対しても、自分の軸がブレずに自分なりに状況をとらえ直すことが出来ます。

また、何かトラブルがあってもそこで感情に飲み込まれず、ぐっと気持ちを切り替えて、解決策を模索することが出来るのです。

それが、自己肯定観が高く安定している状態と言えます。



あなたの今の自己肯定観は?

次の12の質問に答えることで、あなたの今の自己肯定観の状態が分かります。

〇か×で答えてみてください。

【自己肯定観チェックシート】

1.朝、鏡を見て自分の嫌なところを探してしまっている

2.SNSを開くたび、人からの「いいね」を待っている自分がいる

3.職場や学校、家庭でちょっと注意されると、深く落ち込んでしまう。

  立ち直るまでに時間がかかってしまう。

4.自分のペースを乱されると、些細なことでもイラッとしてしまうことがある。

5.ふとしたときに「無理」「忙しい」「疲れた」「どうしよう」「嫌だ」「つらい」といったネガティブな言葉がこぼれている。

6.「ねば」「べき」と考えてしまい、行動を起こせない

7.上司から言われた何気ないひと言が気になって。こだわってしまう

8.やるぞと決めても、まわりの人の目が気になり、躊躇してしまうことがある。

9.出かける前、1日を過ごす服選びに悩んでしまう。

10.一度決めたことなのに、本当にこれでいいのかなと悩むことがある

11.新しいことに挑戦したいなと思っても、「どうせ」「自分じゃな」と、勝手に限界を決めてしまっている

12.電車から降りるときやエレベーターに乗るとき、ノロノロしている人にイライラしてしまう

引用:何があっても「大丈夫。」と思えるようになる
自己肯定観の教科書 中島輝 著



 いかがだったでしょうか?

12個の質問のうち、〇が10個以上の場合、あなたの自己肯定観は今かなり低い状態になっていると言えます。

ちなみに、私の場合、1年前は11個〇がついていましたが、今は4個です。

自己肯定観は、どんな心の痛みや経験をした人でも、
何歳からでも後天的に育てていく事が出来るのです。

 

 


HSS型HSPの私が交流会に参加すると・・・


 先日、子どもの遊び環境についての講座が2日間あり、2日間とも参加してきました。


 全国から様々な活動をしている方や学ぶ意識の高い方が集まるので、会場はとてもエネルギーに満ち溢れていました。

 そこで、また1つ自分について気付くことが出来るきっかけがあったので、今回はそれについて書きます。


明確な関心事があるかどうかで、自分の状態が変わる

 

 セミナーの時間は、途中10分休憩を入れながらの、5時間ほどの学びの時間でした。

 私は興味があることだと、何時間でも集中力を切らさないで取り組み続けることが出来ます。これはHSS型HSPの人には多い特質のようです。

 今回のセミナーは、私が以前からとても興味のある内容だったので、とても集中して話を聞き続けることが出来ました。

 その後は、希望する参加者で食事をしながらの交流会がありました。
参加人数は50名以上はいたと思います。

 私も、(ゆる~く交流したり、なにか情報交換が出来ればいいなぁ)と軽く思い、参加しました。セミナーの時間のように、自分の中で特に「明確な関心事」はなかったのです。


 最初は近くにいる人と「普段どんな活動をしているんですか?」と話したりしていました。

 しかし、途中から急に、私の中でその場に対しての関心事が「プツッ」と切れてしまったのが分かりました。(あ、なんかもういいや…)と感じ始めたのが、開始してからまだ20分の事でした。


 特に人との関わりで嫌なことがあったとかそういう訳ではないのですが、(むしろもっと皆さんと話したり交流したかったのですが)、どうにも心がそうなってしまったら、その場にいるのが苦痛になってしまいます。


 多分、その前の時間に高い集中力を発揮して、長時間の学びをした事、そしてその学びがとても深く満足するものだった事、も要因の1つだと思っています。「元々、疲れやすいそして集中が切れやすい状態だった」という事です。

 以前はこの自分の中で関心が切れる「プツッ…」に気付く事も出来ていなく、そのままそこで過ごし続けていることが多かったので、よくグッタリ…していました。

 なのでこの時点でまずはこの、自分の中の変化に気付けたことが、ハナマルです。



関心が切れた時の、おススメの対処法

 自分の中で、その場に対する関心や集中力が1度切れてしまうと、その場に居続けるだけで精神体力を消耗してしまいます。

そんな状態を回避するために、私の経験からおススメな動作をいくつかあげます。

・トイレに行き(または行くふりをして)一度その場を離れる

 …更にトイレが終わったら、少し時間を潰してから会場に戻ると、回復の時間が取れます。(早く戻らなきゃ、と気にしてしまいがちですが)ここは思い切って20分ぐらいフェードアウトすると、効果的です。

・好きなアロマの匂いを嗅いで深呼吸する

…「辛いな」という感情を切り替えるために、お気に入りのアロマスプレーの匂いを嗅いで嗅覚刺激からの「快」の感情を脳に取り入れましょう。そしてゆっくりと8秒間かけて深呼吸します。(4で吸って1止めて4で吐く)大丈夫、大丈夫、と心の中でつぶやくと、感覚が自分軸に戻ってくるので回復しますよ。

・刺激を受けない位置に行く

…会場に戻っても、なんだかやっぱりイマイチ気が乗らない、でも帰ってしまうわけにはいかない・・・という時には、そっと端の方に行き会場の様子を俯瞰してみるのも1つの手です。あと、もし良く分かってくれている友達などがその場にいたら、「ちょっと疲れちゃって…回復するまでこの辺に一緒にふわっと居させて(笑)」と言ってみるのも良いと思います。
交流会などでは結構、1人で居ると話しかけられちゃいますからね(^-^;)

・どうしても辛ければ、早めの帰宅を

…申し込みをした時には、もちろん交流会を楽しもうと思っていたのに、当日の具合で(なんだか疲れちゃった…)というのは、珍しいことではないと思います。
HSS型HSPの特徴を持つ人は、「刺激を求める性質」と「敏感な性質」の両方を持っているため、そのバランスがとても難しいのです。適正な感覚の幅がとても狭いです。

 なので「辛い」と感じる時点で、そこから先は、もはや我慢でしかありません。
せっかく申込をしたし、みんなと交流を持ちたい気持ちがあるのはとても良く分かりますが、どうしても辛くなってしまったら、その日は早めに切り上げて帰宅するのも精神体力を消耗しないための1つの手でしょう。

 
出来なかった自分より、出来た自分を見てあげよう

・せっかく交流会に申込をしたのに、私何やってるんだろ・・・

・もったいないな・・・

・みんなといっぱい交流出来なかったな…

 疲れたときは、こんな風に自分の出来なかったことに対して目が行きがちではありませんか?

 でも、自分の出来なかった事に隠れている「出来たこと」を、たくさん見てあげてください。

・私は交流会に申込みをすることが出来た!

・だから当日会場に参加出来た

・時間は短かったけど、話を出来た人は0人じゃない

・そして自分が疲れてきた瞬間に自分で気付くことが出来た!(素晴らしい)

・自分の疲れから、人に迷惑を掛けたり誰かを傷つけるような態度はとらなかった

と。
ほらたくさんあるでしょう(*^^)v

大丈夫。何かに対する見方や捉え方は、あなた自身で決めていいんです。

何を見て、どう感じるかで、あなたの時間が作られていくとしたら!

ぜひ、「出来なかったことより出来たこと」を見て、自分自身を肯定してあげましょう。


 

 



 



プレーパークって何?


 プレーパークとは、「子ども達の好奇心を大切にし、子ども達がやりたいことをやったり、在りたい姿で自由に過ごすことが出来る、屋外の遊び場」です。
 また、地域のどの子にとってもそのような環境が身近になるよう願い、開催方法や場所を大人達が工夫しながら作り続けている場所です。


 遊ぶために申込みなどはなく、誰でも遊びに来ていい場所です。




 子ども達の生活の中には「食べる」「寝る」と同じように「遊ぶ」時間があり、地域の中には公園や児童館など形は違えど、「遊びにいく」場所がたくさんあります。



 プレーパークも、身近(例えば毎日開催している、歩いていける場所)にある地域の子にとっては、その「遊びにいく」の選択肢の1つになっています。



例えば、小学生ならば放課後に、「とりあえずプレーパークに来る」という子もいます。理由は誰かしら居るから、など。あと、待ち合わせなどにも使われます。



 幼児さん親子ならば、プレーパークに来ると他の子もいるし、遊びを介して一緒に遊んだり、異年齢での交流が生まれたり、そういったことが自然と起きやすい、環境でもあるようです。


 プレーパークで出会った小学生と幼児が遊び場仲間になると、地域の大きな兄弟のようです。


プレーパークの特徴



①プレーパークでは、子ども達の「やりたいこと」を中心に遊びが展開されていきます。遊びの主役は子ども達です。遊び場はいつも子ども達と一緒に生きているかのように、変化し続けています。



②子ども達の「やってみたいこと」を見守る大人「プレーリーダー」がいます。



③「スタッフ」「参加者」という立場関係なく、子どもの遊びや育つ環境を中心に考えたり「出来ること」を行動する大人が繋がっていき、結果的に地域の意識が変わっていきます。



 近年、全国のいろいろなところでこうした、子どもが遊び育つ環境作りを考え、行動する大人が増えてきました。


 各遊び場の繋がりや、遊び場の広がりのサポートなどをしてくれている、日本冒険遊び場づくり協会の情報を載せておきます。


 住んでる地域の近くのプレーパークを知るのにも、役立ちます。
ぜひ、覗いてみてください。
(ここに登録掲載されている以外にも、活動している遊び場はあります。)
http://bouken-asobiba.org/




 また、最後にもう1つ大切なことですが、
ここまでは私自身が今までに学んできたこと、現場で感じること、を元に書いています。


 プレーパークに決まった形はなく、それぞれの地域や場所に合う形で、「今出来ることを、出来る方法で」開催されている遊び場が多いと思っています。開催頻度も「毎日」「週1」「月1」「数日間の連続開催」「年数回」…
など多様です。



 でも、全ての遊び場で「子ども達の遊び育つ環境を良いものにしたい」という願いが込められ、日々続けられている事は確かです。

プレーパークについて思うこと


知らない人と話して見えること

 私は、プレーパークで「プレーリーダー」として仕事をしていましたが、普段はプレーパークを知らない人とよく話し、「伝え方」について考えるようにしていました。

 子ども関係、教育関係のみならず、他の大学生や他の業種で働いている大人ともお話しをさせてもらいました。

 最近では、子どもの遊び場や子育てに関しての情報がネットや書籍、テレビ番組などを通して社会の中にたくさんあり、また、親子で楽しめるような楽しい遊びのイベントも街中でたくさん行われています。

そんな中で、「プレーパーク」「プレーリーダー」をどう伝えるか。


 確かに公園など他の遊び場に比べると、「自由な遊びが出来ること」「様々な大切な経験が出来ること」はあるけれど、伝える時の中心がそこだけではない気がしています。


 私がこれまでの経験で感じたことは、プレーパークは「場所」ではなく「地域の大人が子どもと共に考えながら作っていく関係性」であるところ、ということでした。

働いていたプレーパークの事務所にあった15年前の資料を、たくさん読み返しました。

 今、「プレーパーク」として存在する場所も5年、10年、20年…と始まりの根っこは「地域の人の思い」でした。


 
 だからプレーパークを伝えるときには「場所」よりも「人の関係性」や「積み重ねられる時間」「思い」を伝えることを大切にしようと思いました。


 そうやって常設型、隔週、月1開催、と日本中でいろんな形で存在しています。




 「子どものための自由な遊び場」と伝えると、子どものための場所なんだ、何かが出来る場所なんだ、と伝わることが多かったです。



  でも本当は、子どもの存在を中心に地域の大人誰もが環境となれる場所で、また、子ども達が地域の中で様々なことを受けとることが出来る場所。

 だから言葉を大切に、選びたい。


 先日、「プレーパークの中で自由に過ごす子どもを見て安心している自分」がいることに気づきました。


  本当は「プレーパークの数が増えればいい」わけではなく、究極は「プレーパークがなくても大人が気づき支え合いながら、環境をつくっていく関係性がある地域」であることが大切なんじゃないかな。



 そのためにプレーパークがあり、地域のプレーリーダーとして存在していたい、と今は思っています。

自分について分かり始めてきた頃のこと

 

 私は過去に精神状態がとても悪かった時、それ以上傷つくのを恐れて、人に話すことも出来なくなっていました。その時に感じた心を書き留めておく、自分だけの「記録ノート」がありました。


 今日もその、自分だけの記録ノートから書きます。
私にとって辛い過去は「忘れたいもの」、じゃなくてこの時があったから今があると思っています。

 辛かった日々はそれだけ私にとって大切な時間の積み重ねです。

良かったら、前回の記事「自己肯定観が下がった人の話」も読んでみてくださいね(^^)


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(ノートより)



 

自分で自分を信じられなくなった

 そしたら、自信を失った。


 自分を信じられなくなったのは、自分の感じ方が変わりやすいから。
1週間前のその時に必要だと思って人に言ったことと、今必要だと思ったことの優先順位が変わる。

 行動も変わる。

 
 人に何かを言うのが申し訳なくなって、人を振り回してしまいそうで。
人と一緒に何かをするのが怖くなった。


 人と一緒にいるのも、楽しくなくなった。

1人でいるのは、余計に寂しいし不安だ。


自己肯定観が下がった時に思うこと

・私が生きている理由をください。
・私はここに生きていますか?


 「死にたい」じゃなく逆に「生きたい」「生きたい」「生きたい」なんだ。

 今、生きてることになんの価値があるのか…とか思う前に、
そもそも自分が本当に生きてるかどうかを確かめたくなった。

 自分の心にわざと衝撃を与える。
そうやって生存確認。



 とにかくこの歳で。まだ良かった。
いろんな知識、事例を知ってしまっているから変なことしない。出来ない。



 逆に10代、20代のそういう辛さは、本当に死ぬか生きるか、むしろ心は死んで、毎日を必死に生きているんだと思う。

 

 思い返せば自分がその頃、やっぱり、そうだった。
死にたい死にたい、言ってたな。
ほんとは生きたいくせに。

 この経験も与えられたものなのか。

世界が違うんだな、

 

 堕ちてる、病んでる、という言葉を使う人もいるみたいだけど。

 あっちの世界に入ってしまうと、自分でも帰ってくるのがなかなか大変でね。しばらく時間がかかるの。


 で、帰ってくると「あれ?なんであんな状態だったの?」ってなる。
それがまた自分でも怖い。


 今は、(心が)生きてるから、言語化できてる。
けど、いつまたあっちの世界に行くかわからない。

環境の変化で、出てきた生きづらさ。

 それこそが自分らしさ、だと思ってる。
だから、変化の途中は苦しいけれど、自分と向き合って、それを否定しないようにしてる。


 敢えて言うなら、私はHSP/HSS。

 Highly Sencitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン、「人一倍敏感な人」)の中でも、Highly Sensation Seeking(ハイリー・センセーション・シーキング、「刺激をとても求める人」)の両方の特質をもつみたい。


 アクセルとブレーキを同時に踏んでる人。
環境の影響を受けやすく、敏感なくせに、刺激を求めている。


 なかなか生きづらい!!!!!!

 でも「今の自分」って、「個性」とか「障がい」とか「特質」とかで括らなくてもいい。


 自分はどんな時も自分。
自分以上でも自分以下でもない。

 
 人は一人一人違うこと、人は型にははまらない。
それを自覚して自信にすることが大事。


 今の「自分」はこんな人、どういう環境が心地よくて、どういう環境が辛くなっちゃって、っていう風に自分を知っていくことは大事。


大丈夫、 ゆっくり、でいいから。


誰かに何かをされた、とかじゃなくても

  自己肯定感が下がる場合もある。
「いったい何があったんだ?」と聞かれても、特には…覚えてない。


  でもこの日常のどこかに、自分なり辛いなぁーって思う瞬間があったはず。
まだそれに、気づけていないだけ。

 だから、なんか疲れる。
長い目で見たら、いまはそう変わってきた時期なんだ。


(ノートより、おわり)

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 なぜ、私が当時のこのノートを今になってブログにしているかというと、

 私自身の経験から、まず最初に苦しくてしんどいのは、自分が人よりも繊細な気質を持っている、ということに気付くまでの毎日だと思います。

 
 私の場合は、とても辛い時間の毎日を過ごしていた時に、唯一救いだったのが「ネットで他のHSPの人のブログや呟きを見ること」でした。

 同じ繊細さをもつHSPの人の体験を読むことで、私がまだ自分で気づけていない辛さや無理してしまう癖などに、気付かせてもらうことが多かったのです。

 また、何か自分の中で感じている感覚的な「辛さ」を表現することの出来る言葉を持つことが出来たのも、救われた点でした。



 このブログは、当時の自分を救うかのような気もちで書いています。

 
 人は、辛いと感じることやその時の回復の仕方、かかる時間などそれぞれに違います。その人の周りの環境やその人の人生のタイミングによっても違います。


あなたにとって良い形で、何か少しでも支えになれたら嬉しいです。



自己肯定観が下がった人の話

 

 私は過去に精神状態がとても悪かった時、それ以上傷つくのを恐れて、人に話すことも出来なくなっていました。その時に感じた心を書き留めておく、自分だけの「記録ノート」がありました。


 今日はその、自分だけの記録ノートから。
私にとって辛い過去は「忘れたいもの」、じゃなくてこの時があったから今があると思っています。

 辛かった日々はそれだけ私にとって大切な時間の積み重ねです。

 もしこのブログを読んでいるあなたが、今とても辛い気持ちで毎日を過ごしていても、少しずつ自分を知り、またこの世界とのバランスのとり方を学んでいけば必ずまた、安定した日々を過ごせる時が来ます。


 また、身近に人一倍敏感でなにか精神的に辛そうだ…という人がいる方へは、このブログが少しでもその人の感じ方を理解する一助になれたら、幸いです。

 
【今、自分が生きている意味が分からない人へ】

 あなたが今生きている意味は、あなたが幸せになるためです。

 あなたは、あなた以上でもあなた以下でもないのです。

 大丈夫。あなたは、しっかりと今を生きています。

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(ノートより)

 

 自己肯定観が下がって、

自分の価値が分からなくなったとき、

自分の存在が無になりそうになった。

 

 食べたいものが分からなくなって、いろんなことが決められなくなって、話せなくて、笑えなくなった。

 

 それからフワフワと、実家に帰った。

 

 温かくて柔らかいご飯を、一緒にお腹いっぱい食べてくれた人がいた。

 欲しいものは好きなだけ、手に入れることを許してくれた人がいた。

 何も言わずに、抱きしめてくれた人がいた。


 励ましの連絡をくれた人がいた。

「大丈夫だよ」と、何度も何度も言ってくれた人がいた。

 

 話す意欲すらない私に、話したくなるような話題をくれた人がいた。

 私が丸一日中喋っているのを、ずっと聞いてくれた人がいた。

 「元気をつけなさい」とご馳走してくれた人がいた。


 ああ、私はここに生きていたんだなぁ。と思った。

人のおかげで、気付くことが出来た。




 自己肯定観が下がる原因は、確かにある。

 でも、自分の環境をどう捉え、どう感じるかは、自分次第だ。

 

自分の感情をどう扱うかも、自分次第だったのかもしれない。



 人のせいにしていたらその事に気付けないし、全てが楽しくなくなってしまう。
 

自分の人生なのに、そんなの嫌だ!!

このままじゃ私、死んじゃう。

 追い詰められた私は、たくさん考えて、少しだけ変われるかもしれないチャンスを2つ見つけた。


 1つめは、「人は一人では生きられない」ということ。

 今まで「傷つくから関わりたくない」と、人との関係を遮断した自分がいて、その状況がまた人の温かさを気付かせづらくしていたのだ。


 でも、その時にそういう行動をとっていたのはきっと防衛本能だったのだ。とも思う。そうでもしなければ、その時をやり過ごせなかったのだから。


 とにかく、人との関わりを断っては、人は自分の命の輝きすら分からなくなる。
それは本来、人間が「一人では生きられない生き物」で、人との関わり合いの間で生きていくものだからだと思った。




 2つめは、「人は不完全な生き物」だということ。

人は一人ひとり違う。
違いがあって当たり前で、むしろその違い自体が素晴らしいこと。



 だから、人を見て「出来ない自分」「同じになれない自分」に劣等感を感じる必要すらなかったのだ。


 それよりも大切なことは「不完全である自分」を自分で受け入れることだった。


それは間違い、とか出来てるではなくて、「それも自分」だし「これも自分」でいいんだ。

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 もし、このブログを読んでいるあなたが、今とても辛い毎日をすごしていたら、自分が生きていることを、感じられなくなっていたら。



 少しだけ周りに目を向けて、話を出来そうな人を見つけてみてください。

 そして、人と肌を触れ合ったり(手を繋ぐ、ハグするなど)、温かいご飯を一緒に食べたり、否定されずに話を聞いてもらったり、してみてください。


 傷ついた心を回復するためには、人の心や肌の暖かさを人と一緒に感じることが、大きな助けになってくれます。



 辛い時こそ遠慮なく、人の温かさをたくさん受け取ってください。

 あなたが生きている今は、あなたの幸せな未来に繋がっています。


 



 


 


自己肯定観が下がりやすいHSP

 「自己肯定観」が下がるのは、HSPの気質を持つ人に限らず、誰にでも起こり得ることです。人間は環境の質に影響を受けながら生きていますから。

でも、HSPの気質を持つ人は、非HSPの人よりも下がりやすい傾向にあります。

 なぜなら、人よりも感じ方がとても繊細だから。

外界に対しても繊細だし、自分自身の内面に対しても先生な変化を感じ取ります。

 

私は、自分がHSPだと気づくまで、自分が疲れやすい気質であることにすら、気付いていませんでした。なぜなら、自分にとってはそれが「普通」だったから。

 なので、「疲れやすい自分」を大切にすることを、あまり意識していませんでした。

人からは良く、「ゆうは頑張りすぎるんだから、自分を大切にしなー」と言われていましたが、「自分を大切にする」の感覚が、実は良くわからなかったのです。

 そして自分の特性を分かっていなかったので、「休もう、リフレッシュしよう」として、どこかに出掛けたり人とお茶をしたりして、結果的に更に疲れていました。

(これについては、記事「私の休み方」で詳しく書いていますので読んでみてください)

 そして、「なんで自分が、こんなに些細なことでも気にして疲れるのか分からない」状態でした。

 そこから、「すぐ刺激を受けたり気にしてしまう自分は弱いんだ」と、自分の事を嫌いになりました。

 人が「頑張りすぎだよ」「気にしすぎだよ」と言ってくればくるほど、自分が否定されているような気がして、それが辛いのでどんどん人から離れていこうとしました。

(相手は私のために良かれと思って言ってくれていることなのに…)

 素直にそれを受け入れられない、そんな自分が自分で大嫌い。と思いました。

人が悪いんじゃない、自分が悪いんだ…と、どんどん自己肯定観が下がっていく時期がありました。

集団の中で仕事をするのが辛かったときのこと

 こんにちは、人生を遊ぶように生きたいゆうです。

 

 今、私はフリーランスとして仕事をしているのですが、そういう働き方を選んだ理由は、「そのほうが、より自分の感性を輝かせながら仕事することが出来る」と思ったからです。

 

 私は、いろいろな人が集まる会社の一員として働いていた時、その業務の内容以外で、他のスタッフとの連携やコミュニケーションの部分で、何度も辛い思いを感じていました。

 

 常勤という立場で週5日勤務だったため、その日に消耗した精神をうまく回復出来ないまま翌日も仕事に行くことが多く、実は日に日に精神的な疲労が溜まっていくのが辛かったです。

 

 一人暮らしで家に帰って話す人もいなく、かと言ってそんな内容を友達に電話したりLINEで聞いてもらう体力もなく…

 心の内を吐き出さないともう何も入ってこなくなってしまうので、その時の気持ちをよくノートやSNS(自分のみに公開)に記録していました。

 

今日は、その時の記録を元にした記事を書きます。

 今は毎日自分の楽なペースで過ごしているので、当時のものを読むと、「相当追い詰められていたんだなぁ」と感じます。

 そして、きっとその時にしか書けない感覚がたくさん詰まっているので、これも今の私を作るために、必要な時間だったのだなぁと思います。

以下、当時の記録です。

「それぞれのつもりがあって」

 現場など、「チームワーク」でやってることって、それぞれの人の「つもり」がある。

 連携がうまくいかない時はぶつかり、誰かが「間違っていた」ことに気付き改めることになる。

 そういう時よくよく話すと、1つの事に対する捉え方が私含めてまるで全員違っていて、それぞれの「つもり」でやっていることがある。

 Aさん:「なぜ私に共有しないで勝手に進めちゃうの?私も把握して一緒にやるつもりだったのに」

(感情…想定しない事態への驚き、寂しい、悲しい、疎外感、怒り)

 

Bさん:「Aさんには得意な分野に集中してもらえるように、こっちは私達でやるつもりだったの」

(感情…配慮、気遣い)

 それぞれのつもりはどちらも間違ってはいなかったのに、お互いにそれを知ることが出来なかったためにすれ違いが起きてしまった。連携がうまくいかない、辛い。

マニュアル通りの作業がないこの仕事では、スタッフそれぞれの人間性が良く出る。

こういう場面で、意外と本心を言えない私は、たくさん潰れてきた。

ーーーーーー

「つもり」は目には見えない。

「つもり」は言葉にしないと、相手には伝わらない。

1日の途中で、その「つもり」をなるべく丁寧に話したり聞いたりしたい。

 そうすれば、相手を否定することもない。

 相手に合わせて自分を否定することもない。

相手に〇

自分にも〇

と言えた時、そこにはとても安心出来る関係性が築けるんだろうなぁ。

 

HSPの私の休み方

 昨日は、強い圧の人の影響を受けて、家に帰った時にはぐったりしてしまいました。

相手は良かれと思ってしていることなので、相手を傷つけてしまうのではないかと思い「嫌だ」が言えず、私のほうが我慢してしまいました。

「あなたはそうなのね」「私はこうなのよ」と言えたら楽だったのですが。。。

今日は回復する日

 そんなわけで、今日は何もせず、精神を回復する日にしました。

「何もしないで休む」というと、人によっていろんな休み方があると思います。

 HSPさんは、刺激による疲労を回復するのに、少し時間がかかります。

今まで「休みの日」となると、私はリフレッシュしようと思い、どこかへ出かけたり料理や頭の中にある考えを具体化してみたりと、やりたことをやっていたのですが、

最近はそういった「やりたいことをやる」のでも、また感性が刺激されて感動したり新たなアイディアを閃いたりしてそれもまた刺激になってしまうんだなぁと気づきました。

 あと、物事のタイミングを図りながら進めるのがうまいので、休みの日でも「これを少しやっておけば次が楽」と思い、ついつい事務連絡などの作業をしてしまいがちでした。

 結局、うまく休めず、疲れは取れず…。

 なので、今日の私は時間の流れとか、やるべきタスクとかタイミングとか一切気にせずに、まず自分が楽に過ごせる時間を過ごそうと思いました。

自分の心の声を聴く

 今日はたくさん寝て、お昼ごろ起きました。

そこから、朝(昼?)ごはんに、カフェオレを飲みました。

しっかり食べなきゃ、とか気にしません。

 そのあとしばらく何もせず、「今日の私はどうしたい?」と自分の心に聞きました。

・人との連絡をとりたくない

・何も考えたくない

・あまり動きたくない(座っているのも出来れば嫌だ)

と心が言っていたので、携帯を近くから手放し、ソファーに寝っ転がって、そこから夜19時過ぎくらいまで、録画していた番組をずーっと見ていました。映画を一本、旅番組を2本。これは頭や心が疲れませんでした。

 途中、お腹がすいたので、16時くらいにそうめんを茹でて食べました。

それに伴い、自然と夕飯は22時くらいになりました。

 こんな感じで、今日は起きたい時に起きる、やりたいことをやるしやりたくないことはやらない、食べたい時に食べる。という過ごし方をしました。

これが今日の私の「休み方」

心を遊ばせるように、過ごすこと。

 おかげで、夜にはずいぶん心は回復しました。

また明日から、出来るだけ自分に無理をしないように生きていきたいと思います。